福聚山大慈寺ふくじゅさんだいじじ

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絵伝逸話その5


その5 無常を悟る  


大慈寺住職 吉田隆法







西有禅師(金英)禅師十九歳の時の出来事です。

天保十年(一八三九)八月九日、法光寺において
病弱であった金龍お師匠様が、遂に遷化しました。

金英は師匠の葬儀万端を済ませて、湊の生家に帰り、
御両親に自分の気持ちを詳細に申し上げて、
修行の旅に出ることに賛成を求めました。

かねて、そういう噂(逸話四)を聞いていた母親は
「そういう地獄の道案内するような僧とは一日も
早く縁を切って、学問修行の本場に出立しなさい!」
と激励しました。

金英は、母のこの激励の言葉に百万人の味方を得た
力を与えられ、法類近親に見送られ、決心を新たにし、
意気揚々として上り街道に向かったのであります。

そして、東北の森の都、仙台市新寺小路にある
松音寺住職悦音和尚の門下に身を投じたのであります。

松音寺は、仙台市北山の輪王寺と南鍛冶町の昌伝庵と
供に、六十二万石伊達候の城下の準菩提寺として
格式の高い修行寺でありました。

悦音和尚は、金英の風貌と挙措進退を見て、心を惹かれ、
悦こんで迎えいれたのであります。

時に金英十九歳の血気盛ん、天を衝く感がありました。

悦音和尚は、松音寺所蔵の漢籍や仏教書は勿論、
仙台城下の書籍研究に最大の助力を与えたのであります。

金英は、寝食を忘れて研究し続けたため一年間で
仙台領内に読むべき書籍なく、又これ以上修業の面でも
指導を受ける人物も見当たりませんでした。

けれども悦音和尚は金英の傑物を見込んで、自分の弟子
となって、松音寺を継承してくれるように熱望しました。

余りの親切と熱意に動かされて、金英は「まだまだ
未熟者です、江戸に出て修行してからにして下さい」
と口約束したのであります。


仙台に於ける一年間は、金英にとって、実りある
一年でした。親切極まる法愛を悦音和尚より受けて、
漢書仏典の研究三昧に入ることが出来ました。 

さらに、時、天保の大飢饉という一大試練に遭遇し、
心魂の鍛錬が出来たのであります。

大飢饉の惨状は異状であり、非情でありました。
その被害甚だしく、死骸が道路に充ちていました。
毎日これを踏み越え、飛び越えて読経し歩いたのですが、
死んだと思っていたのが読経中にうめき声を挙げたり、
ギョロット目玉をむいたり、肝を冷やすことしばしばで
ありました。

金英は、これではいかぬと、死骸の集められた墓場に
坐禅をして、死骸と相向かって魂胆度胸が定まったので
あります。

若い金英は、世の無常を悟り、猛修行の道心を
固めました。

大飢饉の中の難行苦行の一大試練を、
天が西有禅師(金英)に施したと言えます。


絵伝逸話

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曹洞宗

福聚山 大慈寺

住所:八戸市長者1丁目6−59

電話番号:0178-22-1856