福聚山大慈寺ふくじゅさんだいじじ

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絵伝逸話その3


その3 不屈の魂

大慈寺住職吉田隆法






★ 出家を許される 天保四年(一八三三)万吉少年十三歳となり、 或る朝のことです。ご両親の前に正座し、 両手をついて「ご両親さま、どうぞ出家の 大願をお許し下さい、誓って立派な坊さんに なり、必ずお母さま、お父さまを極楽行きの 道案内を致しましょう。」と真剣な眼差しで 両親を見つめながら宣誓された。 両親はその万吉少年のただならぬ決意の態度 を観て、出家を許しました。 直ちに両親に連れられて父方笹本家の菩提寺、 類家にあります曹洞宗長流寺十六世金龍和尚の 下に到り、得度の式(小僧になる式)を行って 頂き、僧名を金英と授けていただきました。 金英の「金」は御師匠様の金龍の一字を頂いた ものです。これより七年間金龍師匠の薫陶を うけることになりました。 ★ 金龍和尚の影響 夢多き万吉少年が指導を受けた、金龍師匠は、 真に性質括淡として機智円明、豁逹自在の 人材でありました。 感受性の強かった金英にその人格的影響は 大きなものがありました。 その一例を挙げてみます。 長流寺の門前に、大変鳥好きの爺さんがいて、 始終和尚の所に来て大変親しく懇意にして おりました。 ある日爺さんが「和尚さん、私が死んだら、 鳥に関係ある戒名をつけて下さい」と頼んで いました。 やがてその日がきました。金龍和尚さんは、 爺さんの願いを容れて、雁鴨白鳥信士と戒名を 授けました。 そして、葬式の引導法語は「唐(から)にては 鳳凰を神鳥として尊(たっと)び、天竺の人、 孔雀を喜び、雁(かり)は長空高く千里を飛翔し、 鴨は身を山陰沼沢(しょうたく)に潜め、白鳥雪に 一如して飛んで雲の如し、大和の国は陸奥の里、 淵龍山長流寺庭の梅の花、鶯法法(ほほ) 法華経(ほっけきょう)の功徳に依って、 烏(からす)喝(かつ)」と引導したということです。 ★ 断食、潔斎の祈願 禅師十四歳の時、師僧金龍和尚さんは、 三戸郡名久井の名刹白華山法光寺第二十六世の 住職として栄転しました。 金英上坐もお師匠さまと一緒に上山して、 一層の修行に励みました。しかし間もなく環境 の変化と、引越しの疲労も重なりまして、 金龍和尚さまが病気となりたおれてしまいました。 弟子たちの懸命な看病も思わしくなく、病床に 臥したお師匠様が日夜衰えてゆきます。金英は、 何とかしたいと考えた結果、観音様にお助けを 頂くより外は無いと強く決心して、毎夜寒さを ついて井戸水をかぶって潔斎して、 「どうぞ観音様、わが身にかえてお師匠様の 病気を治して下さい」と二十一日間断食をして、 悪病退散の祈願を致しました。不思議や、 お師匠様の病は日々に快復にむかい、自力で 起き上がれるようになり、間もなく元気を回復 いたしました。以上のように西有禅師は若き時 より、不治と思われたお師匠様の重病を全快 させたる不撓不屈の魂の人でありました。
絵伝逸話

寺院 散策写真


曹洞宗

福聚山 大慈寺

住所:八戸市長者1丁目6−59

電話番号:0178-22-1856