福聚山大慈寺ふくじゅさんだいじじ

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絵伝逸話その2


その2 出家の動機

大慈寺住職吉田隆法


★幼児の万吉



両親の深き愛情のもと万吉三才になった時、 実母の実家八戸市二十六日町西村家に 子供がないために養子にだされました。 叔母夫婦の優しい養育によりすくすくと 大きくなり、六歳の春を迎えました。 しかし摩訶不思議叔母に男子が誕生しました。 近隣の人々がかれこれ言う物語を聞いた万吉は、 わずか六歳でしたが、子供心にも、西村家に 居ることを心苦しく思い、おぼろげながらも 覚えていた、湊町の生みの父母の下にかえる 決心をしました。 ある夜ひそかに養家を抜け出して、八戸の町 より湊への一里半の淋しき道のりを、 独り泣き泣き辿りし幼子の姿を見て、 哀れを感じた里人が手を引き生家長次郎宅に 送りとどけました。 両親は驚き、どうして帰って来たかを たずねました。 万吉は臆面なく《向こうに赤ちゃんが生まれ たからわしはかえらぬ》と子供ながらも決心 の固きことを告げました。 両親はやむを得ず西村家へ行き、それとなく 断りわびて自分達の手元で養育することに しました。 ★母と子の地獄、極楽問答 祖父母の所から、親しき生みの母のところへ 帰った万吉の生活は、子供ながらも父母の 辛苦を思いやり、腕白の中にも孝心大変深く、 なにくれとなく両親の教え守り、温かき情けの 中にますます利発に育ちました。 文政十二年(一八二九)万吉少年が九才の春を 迎えました。母につれられて、八戸町十一日 まちにある母方の菩提寺である眞宗の願栄寺に 彼岸参りをしました。 本堂の中に地獄極楽の掛図がかけてありました。 その掛図を母と拝んで廻りました。すると万吉は 子供ながらも、《お母さん、これはなんですか》 と、人間が鬼に舌を抜かれている場面や、 両足をつかまれて股を裂かれている場面や、 釜に入れられて煮られている場面や、針の山に 素足で追いやられている場面等の地獄の掛図を みて尋ねました。 お母さんは《それは悪いことをした人々が、 鬼に仕置きされている所ですよ、可愛そうな 可哀相なことです》と答えました。 さらに、隣の軸をみて《こちらはなんですか》 と、天女達が飛び楽しげな音楽を奏でている 極楽の絵をみて尋ねました。 お母さんは、《これはね、人の為に善い事を した人々が行く所ですよ》と答えました。 すると万吉は《ではお母さんは、どちらにいき ますか》と重ねて尋ねました。 お母さんは一瞬驚きましたが、《母たるものは 子供可愛さに、知らず知らずの間に種種様々の 悪行をつくるのですから、大抵は地獄へ行くと 決まっております》と答えました。 すると万吉は《でもお母さん、地獄に行かずに 極楽に行くことも出来るでしょう、どうすれば お母さんが極楽に行けるのですか》と 真剣に尋ねました。 この時、母の心中何かを感じたものかしばらく して、《万吉や、お前は出家して真実の佛道を 修行すれば必ず極楽に行けます。 又殊に出家した本人のみならず、一人出家すれば 九族までが天に生ずることができます》とこたえ、 親戚から一人のお坊さんがでれば、父母のみ ならず、九族と言って親族の者が皆々極楽の 天上界に生まれ変わり、幸福になることが出来る と伝えられております。 しかしこれはなかなか厳しく、むずかしいことです とさとしました。 以上の地獄極楽についての、母と万吉のやりとりが 出家の志の原因との一つとなりました
絵伝逸話

寺院 散策写真


曹洞宗

福聚山 大慈寺

住所:八戸市長者1丁目6−59

電話番号:0178-22-1856