その1(豆からのご光) 大慈寺住職吉田隆法 西有穆山禅師は、文政四年(西暦一八二一年) に八戸市湊町本町の笹本長次郎さんの長男 として生まれました。名を万吉とつけて、 母親なをさんは、万事吉くゆくようにと、 一生懸命に育てました。 ある日豆腐作りの手を休めて、万吉にお乳を やっていたなをさんが「お父さん、来て下さい、 万吉が何か握って放しません。指の間から 光っています!」と叫ぶので長次郎さんが 行ってみると、何かギッシリ握りしめて なかなか放しません。絵伝逸話何時の間に、何を握ったのものか、 小さい指の間から、ピカピカ光っています。 怪我をさせてはなりませんので、お父さん、 お母さん二人がかりで小さい指を一本づつ おこして漸やくなかのものを取ってみると、 それは、豆腐の材料の豆でありました。 どうして光ったのでしょう、とその豆を よく見ると豆にシワがよって観音様の姿を していたのであります。 仏長次郎といわれた人のよいお父さんは、 その豆の観音様を仏壇に供えて、 万吉を抱いているお母さんと一緒に 「どうぞ、豆で丈夫に育つように御守り下さい!」 と心から御祈りしたのであります。 占相師玄伯さんの預言「まったく、いい相だ、 家業を継げば、地方第一の実業家、政治家になれる。 又、学者や和尚さんになれば、天下一の名僧知識に なれますぞ、大事に育てなさい!」 と言って喜んでくれた。 ★参考文献 幕末・明治の名僧 西有穆山禅師 吉田隆悦 伊吉書院 昭和五十一年 高僧穆山 横井見明 中央仏教社 昭和六年 先師西有穆山和尚 岸沢惟安