福聚山大慈寺ふくじゅさんだいじじ

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降誕会


●降誕会

降誕会とはお釈迦さまがお生まれになった日で、
仏生会、灌仏会、浴仏会、誕生会、龍華会ともいいます。
また「花祭り」という名でも親しまれており、
これは明治時代に浄土宗で呼びはじめた名称です。

インド、カビラ国の浄飯王の后、マヤ夫人は四月八日の朝、
今を盛りと咲き誇る無憂樹の花のもとで
王子をお産みになりました。

花御堂というのはこの花園をかたどったものです。

また甘茶を誕生仏にそそぐのは、お釈迦さまが
誕生された時、天から龍王が下って清浄な甘雨をそそぎ、
洗い浄めたという故実にちなんでいます。

毎年四月八日、お釈迦さまの誕生日をお祝いするために、
花御堂を飾り、甘茶を容れた甘露盤の中に
「誕生仏」を安置し、小さな柄杓を備え、
お像の頭上より甘茶をかけてお祝いするのです。

昔から仏像を灌仏する功徳は広大であるとされ、早くより
インド・中国で行われ、日本では推古天皇十四年(六〇六)
元興寺で行われたのが灌仏会の起源といわれます。

後に恒例の儀式となり、宮中や全国の寺院で
それぞれ行われるようになったのです。

また甘茶は本式には香湯を用い、桃・李・松・柏・柳の
五木に、香木(白壇、沈香の類)を加えて
煎じるといわれます。

しかし香湯を作るのは大変手間がかかる上、
飲みものには適しないので、昔の僧が工夫し、
灌仏のあと参詣者がこれを頂くところに花祭りの無量の
意義を感じ、甘茶で代用するようになったと思われます。

甘茶といってもお茶の種類ではなく、
山アジサイの一種です。生の葉は苦くて甘みは
ありませんが、八月ころに葉を採り、一晩ねかせ、
ムシロに広げて、よく揉みあげて陰干しにすると
甘味が出て、甘茶になるのです。

甘茶に甘みを増すために、漢方薬のカンゾウを
用いる所もあります。

また地方により、太陽暦の四月八日には野の花が
咲き揃わないので造花で飾ったり、金箔を施した
花御堂もあり、あるいは五月に行う寺院もあります。

 
● 天上天下唯我独尊

お釈迦さまは、生れてすぐに四方に七歩あるき、
右手で天を指し、左手は地を指して高らかに
「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝えられています。

この世でただ我のみ独り尊い、と言われたというのですから、
大変なことをいう赤ちゃんが生まれたのです。

そんなバカなと思われるかもしれませんが、
生まれたばかりの赤ちゃんは、みな「天上天下唯我独尊」と
言っているのではありませんか。

「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣く声は、まさに
「天上天下唯我独尊」の表現です。

また人生はだれにとっても、「私」という個別の命を
授かるところから始まるわけですから、その個別性に
おいて、だれもが「天上天下唯我独尊」なのです。

また、この宣言は、「自らを島とし、自らを拠り所としなさい。
法を島とし、法を拠り所としなさい。その他に拠り所と
なるものはありません」(涅槃経)という
教えにも通じるものがあります。

人は皆、「自分とは何か」から出発するしかないのです。

「天上天下唯我独尊」は、「天上天下唯我独存」の
自覚から生まれた言葉なのでしょう。

後世、「唯我独尊」は、〈ひとりよがりのうぬぼれ〉という
悪い意味に転用されるようにもなりましたが、
本来の意味を知っておきたいものです。


● 誕生仏について

お釈迦さまが誕生の時、右手を挙げて天を指し、
左手を下して地を指し、「天上天下唯我独尊」と
唱えたという故事を像にしたものです。

日本で誕生仏が造られるようになったのは
飛鳥時代(六世紀―七世紀)の末期から始まるといわれます。

手を挙げるということについて、『過現因果経』という
経には説かれています。

「太子生るる時、蓮華の上に堕す。扶持の者無きに、
自ら行くこと七歩、その右手を挙げて獅子吼して云く、
我れ一切天人の中、最尊最勝と」

 このように右手を挙げることが書かれていますが、
左手については特に触れていません。

左手を地に下すのは、成道の時の降魔の印であろう
という解釈もなされています。


福聚山大慈寺伝道部




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