お釈迦様はヒマラヤのふもとカピラ城にお生まれになり、 二十九歳で出家し、三十五歳で悟りを開かれました。 それから四十数年間、ガンジス河流域を中心に、 北インドの町から村へと教えを説き歩かれました。 そしてすでに八十歳を迎えられたお釈迦様は、 自らの最期のときが近づいたことを察し、 商業都市ヴァイシャーリの町から最後の地クシーナガラへ 向かうために、ガンジス河を渡られました。 やがてクシーナガラの近くのパーヴァの町に来られた釈尊は、 そこで鍛冶工のチュンダから茸の供養を受けられました。 ところがそのすぐ後で、激しい下痢を伴う重病にかかられたのです。 あるいは赤痢だったのかも知れません。それでも苦痛をこらえながら、 阿難たちの助けを借りてやっとクシーナガラに入られた釈尊は、 マツラ族のウパヴァッタナのサーラの樹林に入られました。 「阿難よ、私のためにサーラ双樹(沙羅双樹)の間に、 頭を北に向けて床を敷きなさい。私は疲れた。横になろう」と 床を敷かせ、「この世で常住なるものは何もない。 これが世のすがたなのだから、精進して早く生死の苦悩から 解脱しなさい」と最後の教えを弟子達に告げられ、 右脇を下にし、足を重ねて横になり、禅定に入られたまま、 涅槃に入られました。時、まさに二月十五日の夜半でした。 付き従う人たちの悲しみと歎きは、いかばかりであったか。 仏典には「その時、大地が震動し、人々の身の毛がよだち、 天上では自然の音楽が鳴った」とあります。 この二月十五日を、わたしたち仏教徒は「涅槃会」と称し、 四月八日の降誕会(花祭り)、十二月八日の成道会と共に、 三仏忌として、毎年、各寺院で報恩の法要を営み、 お釈迦様の偉徳を讃えるのです。 この行事には「涅槃図」を掲げますが、そこには人間だけでなく、 鳥や獣、虫に至るまでが涅槃に入られた釈尊の回りに集まり、 歎き悲しんでいる様子が描かれています。 「涅槃」という言葉は梵語の「ニルヴァーナ」の音訳で、 元、吹き消すという意味です。 すなわち、迷いや煩悩の炎を吹き消すことで、 もはや悩みも苦しみもない世界に入ることです。 令和三年二月 福聚山大慈寺 布教部