福聚山大慈寺ふくじゅさんだいじじ

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盂蘭盆会(うらぼんえ)


盂蘭盆会は、一般的には「お盆」と呼ばれ、
「霊(たま)祭(さつり)」「精霊(しょうりょう)祭(まつり)」
とも言われます。

お正月と並んで二大年中行事の一つとして、国民的に定着
しています。地域によって七月の新盆に行う所と、八月の
旧盆に行う地域があります。

盂蘭盆は梵語(ぼんご)のウランバナの音訳で
「訳して倒懸(とうけん)」と云います。

「倒懸」の意味は、逆さ吊りの苦しみのことです。
インドでは僧自恣の日になると、盛んに食べ物等の供え物
を僧に供養して、先亡の倒懸の苦しみを救うことが行われ
ました。

その理由となったのは、先亡罪と言って、後継者の無い人
は、僧に供養しなければ死後に倒懸(逆さにつるされる)
の苦しみを受けるとされていたからです。


◎日本における盂蘭盆会

日本における盂蘭盆会は、聖徳太子が皇太子をつとめた
(五九三)推古天皇十四年(六〇六)に、この年から
寺ごとに四月八日と七月十五日に斎を設けたとされて
いるのが、盆行事の最初と言われています。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、南都寺院を中心に行われ
るようになりましたが、平安時代中期以後にもなると、
一般人も参加して行われるようになったようです。

鎌倉時代になると、盂蘭盆会の行事として万灯会が行われ
るようになりました。

七月十四日の夜に長竿の先に灯篭のようなものをつけ、
先祖を供養しており、これが先祖の霊を迎える目印として
の迎え火の始まりと考えられます。


◎迎え火・送り火(門火)

盆の七月(八月)十三日の夜、門口にて松か苧(お)殻(がら)
(麻の皮をはいだ茎)を燃やして、先祖の霊を迎える標識と
しました。

これを「迎え火」と呼び、また「門火」とも言いました。

陰陽道では、火の陽で天の魂を降隣させ、水の陰で
地中の魄(肉体)を呼び戻して、亡者の魂魄を迎える
しきたりであると言われています。

七月(八月)十六日、盆が終わると精霊を送るために
「送り火」を燃やします。

地域によっては、海辺や河原に行き、盆棚に飾った供物と
ともに送り火を燃やします。

あるいは「灯篭流し」「精霊流し」と呼んで、灯篭に火を
ともして流すところもあります。

この迎え火・送り火の意義は、先祖を迎える標識ですが、
いつごろから行われたか定かではありませんが、かなり昔
から始まっていたと思われます。

民俗学によると、これは日本古来からある季節行事だと
言います。

年神様を正月に常緑樹の松を飾って迎え、小正月の
一月十五日のドント焼の火で送ったのが、夏の行事だけは、
仏教の影響で盂蘭盆会の迎え火と送り火となったと言う
ことです。


◎盆棚への供え物

各家々では、盂蘭盆会を迎えるに当たって、盆棚(精霊棚)
を設けて供物を供えます。この供え物の由来は、
『仏説盂蘭盆経』の「飯百味五果等を供え、世の甘美を
尽して盆中にのせ、十方大徳の衆僧に供養すべし」に
説かれたことからと考えられます。

また、盆棚に、先祖から受けついだ田畑の稲穂や野菜、
果物を供えるのは、先祖に感謝する意味もあります。

供え物や盆棚の飾り方は、その地域や時代によって様々
ですが、一般的に行われていることをあげてみます。

盆棚の中央には先祖様の位牌を安置し、香華灯を備え、
盆灯篭をかけ、田畑で採れた五穀野菜果物等を供えて
飾ります。

十三日には迎え団子、十四日はそうめん、十五日には
送り団子を、また茄子や瓜を刻んで洗米をまぜた
「水の子」と称する施食を、はすの葉や芋の葉の上に
のせて供えます。

水の子や団子等の施食は、棚の下にも供えます。
これは、ふだん供養を受けない無縁仏等の三界万霊の供養
として行います。

さらに、先祖様がこの家まで来るための乗り物として、
瓜や茄子で作った牛や馬を飾ります。



曹洞宗 福聚山大慈寺伝道部






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曹洞宗

福聚山 大慈寺

住所:八戸市長者1丁目6−59

電話番号:0178-22-1856