西有公園銅像 昭和44年6月17日
製作者 名久井十九三氏
湊町で生まれ、本名は笹本万吉。
天保4年(1833)に出家し金英と名乗った。
名川の法光寺や仙台の松音寺などで修行を積んだ後、
13年に江戸に出て駒込吉祥寺の栴檀寮
(せんだんりょう)に入り、学業と修行に励んだ。
弘化元年(1844)に牛込鳳林寺(ほうりんじ)の住職
となるが、曹洞宗の根本経典である「正法眼蔵
(しょうぼうげんぞう)」を学ぶため、小田原
海蔵寺(かいぞうじ)の月譚(げったん)和尚に入門し、
12年間の修行生活を送る。
明治34年(1901)に曹洞宗の大本山である總持寺
(そうじじ)の貫首となり、同年に明治天皇から
「直心浄国(じきしんじょうこく)」の禅師号を賜った。
翌年には青森県人として初の曹洞宗管長に就任した。
東京・横浜やシンガポールなど、開山開基の寺や
住職を務めた寺は数多く、八戸でも光龍寺や常現寺など
つながりのある寺が存在する。
また、「正法眼蔵私記」、「正法眼蔵読紘講義」などの
著書や、禅の修行で得られた悟りの境地を表現した
墨跡や禅画などの作品を数多く残した。
旭ヶ丘に西有公園が整備され、銅像が建立されている。